地下鉄と、風と、久川颯

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2年ぶりに全面的な対面授業が再開したこともあり、地下鉄に乗る機会が増えた。オンライン講義で鈍りきった身体にムチを打ち込み、デコンデコンと地下鉄に揺られながら顔を上げふと思う。久川颯は、地下鉄の窓に映る顔も久川颯で、きっとそれは日常の中の小さな一コマなのだろうと。たしか4月上旬頃だったと思う。

本題は、それからしばらく経った4月20日。めでたく「Packing Her Favorite」の発売日、久川颯のソロデビューを迎えた日。

彼女の、彼女をイメージして作られた曲を聴き、地下鉄の窓に映る久川颯の顔を思い浮かべていた。未だ見つけられていない「キラキラの世界のワタシ」にめがけてまっすぐに(あるいは数え切れないほどの失敗に迷子になりながら)進む彼女にとって、窓に見える彼女は何なのだろうと。

 

それは、きっと"現在"の久川颯なのだ、と思う。昨日の久川颯でも、明日の久川颯でもない、"現在"の"久川颯"。当たり前のようで、捉えるのが難しい。まるで風のように。

颯、という漢字には「風の吹くさま」という意味がある。少々専門的になるが、風は気圧傾度力によって発生する。では気圧傾度力はどうして生まれるか、極めて大雑把に説明すれば温度が異なるからだといえる。大まかな理解として、風が吹く前と後では空気が違うと考えてもよい。

そう、空気が違うのである。

久川颯は空気を変えていく。では「風」そのものはどう変わっていくのだろうか。強い風が吹いていると、時々「この風を追いかけていったらどうなるんだろう」と思うことがある。私が久川颯を見続けいるのは、きっとそういうことなのだと思う。

風はどこに向かうか。久川颯は走り続ける。